Column
筆者、中村主水の婿養子になる【電気教育、言いたい放題16】
電気科教員の「はてしないグチ」
2025.05.28
第16言「影響を受けた偉大なるバカ殿様、もとい、仕事人」
大学を卒業したあと、ある私学で電気科の非常勤講師を務めつつ、大学の二部に通っていた。そこの事務長と親しくなり、数カ月がたったころ、「ある公立工業高校の校長から電気科の常勤講師の依頼がきている。『将来は採用試験を受けて、ずっと勤務してほしい』ということだけど、どうだ?」と声がかかり、その話に飛びついた。
それが、29年間勤務した伝統校だった。
いざ校門をくぐり、校長にあいさつをして、電気科の職員室に入ると、なんとも重苦しい空気が充満していた。
「どこの馬の骨や」「アイツでウチの授業が務まるのか?」などなど……。もちろん、歓迎会なんてものはなかった。
「貴様、いつまで本校にいる気だ。故郷に帰ったらどうだ?」とも言われた。
電気の諸先輩方は敵か、味方かわからない様子。すっかり意気消沈して、発狂しそうになったことも1度や2度や、3度や4度の騒ぎではなかった。
しかし、校長の姿をみるたびに「しっかり勤務しないと、せっかく声をかけていただいたの申し訳ない!」という気持ちで自分自身を奮い立たせていた。
校長は、もともとは電気の教員で、管理職になったことで筆者をスカウトしたという。そのために気にかけてくれて、よく飲みにも連れていってくれた。奥さんは中学校の先生という教員夫婦で、その当時、2人の娘さんが結婚して家を出たあとだったので、よくごちそうになった。朝帰りは毎回のこと。「婿養子なのに、大丈夫なんだろうか……」と、こっちが心配になるほどだ。
お店では「バカ殿様」を彷彿とさせる活躍(?)で、お店のスタッフはもちろん、お客さんにもちょっかいをかける暴れっぷり。
同席している筆者はというと「あのオッサンの知り合いとちゃうぞ」と知らん顔をしたことも1度や2度や、3度や4度の騒ぎではなかった。
こんな暴挙でも、おかみさんたちからは「校長センセになっても、いままでどおりでいてくださいね」と評判は上々。それで気をよくしていると「校長センセになったんだから、こんなことしてたらアカン」とお叱りを受ける始末。「ワシはどうしたらいいんじゃ……」とこぼしていた姿が印象的だった。
校長とはウマが合い、何かと気にかけてくれた。そして、数々の名言で笑顔を導いてくれた。
「職員会議でたたかれているけど、何も返事をしないのは、今夜、どこにいったらツケが回ってこないか考えてんだよ」
「こんなことばかりやってるけど、ちゃんと学校のことは考えてるよ」
「うちのおかあちゃん、コワいんだよ。学校でもたたかれ、家でもたたかれ、ワシの気持ちはどこに持ってけばいいんや。やさしゅう慰めてくれるとこは金かかるしなあ」
あるときなんて、朝一番に校長室にいくと、イスに座ってグッタリ。
『校長、お疲れですか?』
「おかあちゃんに朝から怒られて、今日は開店休業じゃ」
ウソかマコトか、一服の清涼剤のごとく、いつも和ませてくれた。校長と話すことが楽しく、カバン持ちのごとくネオン街に引っついていった。
その当時は教職員組合も強く、普段の職員会議では数々の反対意見にのらりくらりとかわしていたものの、ここぞの場面では、しっかりと主張して合意を得ていた。在任中には学校創立記念行事などの一大イベントも無事にこなした。
校長の退職時には「アンタとは不思議な縁やったなぁ~」と嬉しい言葉をかけられた。
後日、仲のいい先輩からは「あの校長、アンタのことを自分の婿養子のつもりで接していたのと違うかな?」と言われた。
学校では「昼行燈」を装いながら、キッチリと大義を成し遂げた中村主水のような人物であった。

プロフィール
今出川 裕樹(いまでがわ・ひろき)
1960年生まれ。大学卒業後、電気科の教員として工業高校に勤務。時事問題をぶっこみながらポイントを説明するユニークな授業を展開。その軽妙なトークは、爆笑のうずを巻き起こしつつ、内容を理解できるということで生徒に絶大な支持を得ている。50歳を前に電験三種に合格し、現在、二種に向けて鋭意勉強中。
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