Column
ファイヤー! 満身創痍でも、やらなければならないんじゃ~【電気教育、言いたい放題15】
電気科教員の「はてしないグチ」
2025.04.25
第15言「伝統校のどまんなかに立ってやる」
伝統校に赴任したときから、どんよりと重苦しい空気が職員室に漂っていた。
歓送迎会はなかったし、アドバイスなんてものもなかった。だから、ほかの先生方の指導方法や電話対応などを虎視眈々と盗み聞きしていった。
初担任は採用から3年目の27歳。周りのベテランの先生方は「アイツで担任が務まるのか?」「やるならやってみろや!」「クラスが荒れたら知らんぞ」との思いだったのだろう。
まさしく孤立無援で、電気科のベテランの先生より無理難題を幾度となく押しつけられた。20代のときは担当科目、実習内容を毎年のように強制的に変えさせられた。
生徒たちには「いろんな教科担当の先生にかわいがってもらえや」「困ったとき、最後の面倒は私がみるから」と声をかけると、意外なことに、明るく楽しいという「模範」を絵に描いたようなクラスとなった。
そして、電気科の先輩方のサポートは、当然のようになかった。ほ~んのわずかな期待はしたんだけどね……。
1学期の中間考査の1週間前に「何とかここまでこれたかな」と思っていると、最長老の先生から「キミが本校にくるとき、電気科の全員が反対したんやぞ!」と、ありがたい言葉を頂戴しました。
何か悪いことしたんかな? 知らずに逆鱗に触れた? もしかして、地雷でも踏んじゃった……!?
そんな思いをグルグルとめぐらせているうちに、何だかめんどくさくなってきて「え~い、もういい! やってやろうじゃないの!!」と、そのままのスタイルで3年間、押しとおすことを決意した。
時代は昭和の終わりごろ、バブル景気で就職活動も順調に進んだ。
これは後日談だが、ほぼほぼ進路指導が完了したころ、あるベテランの先生が私の目の届かないところで2~3名の生徒に声をかけたそうだ。
「キミは、どこに就職が決まったの?」
「〇〇社です」
「あぁ~、そうか……。あの担任だからなぁ~。ワシやったら、もっといい会社を紹介してやったのになぁ~」
それからは見事な手のひら返しで、クラスの生徒が指導にうわの空の状態が続き、かなり手を焼いたのを鮮明に覚えている。
それからというもの、クラスの全生徒が出席したのは卒業式前日の予行日と卒業式のみ。そんなもんだから「同窓会をしようぜ!」という気になるはずもなかった。
同校では合計5回、担任を持ったが、2回目以降の担任期間中は、たびたび夢でうなされることがあった。
舞台は教室、すべての生徒がそっぽを向いているというシーン。「オマエら、いい加減にしろ!」と自らの怒鳴り声で目が覚めることに……。
またあるときは、クラスで最も頼りにしている生徒が反発し、「このおんどれは!」と声を荒らげたところで目が覚める。
夢でよかったとホッとする朝を幾度となく経験した。勢いよく教卓を蹴った夢をみたこともあった。あれ、本当に何かを蹴った感触があったな…… と思ったら、横で寝ていた奥さんが「あいたぁ~、何すんの!」と声を張り上げる。眠気が一気に吹っ飛んだことはいうまでもない。
当時、こういった寝言で家族を驚かせたことは数知れず。「コラ~!」と大声で叫んで目が覚めると、奥さんや長男から「ビックリした! 泥棒かと思ってドキドキしたわ」なんてこともあった。
家族も心配してくれていたと思う。温かく見守ってくれていたのだが、このときは、めずらしく次男が血相を変えてキレてきた。
当時の次男は中学生で、思春期のどまんなかに立っていたころだ。
「お父さん、なんて悪いタイミングなん!」
「???」
「オレな、夢のなかで結婚式を挙げていて、誓いのチューをする寸前やったんや! もぉ~、いいところで大声を上げて! チューしたかったわぁ~」
これには、ただただ平謝りするしかなかった……。次男よ、ゴメン。

プロフィール
今出川 裕樹(いまでがわ・ひろき)
1960年生まれ。大学卒業後、電気科の教員として工業高校に勤務。時事問題をぶっこみながらポイントを説明するユニークな授業を展開。その軽妙なトークは、爆笑のうずを巻き起こしつつ、内容を理解できるということで生徒に絶大な支持を得ている。50歳を前に電験三種に合格し、現在、二種に向けて鋭意勉強中。
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