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電気の未来を育てる求道者たちの「It’s Show Time!」【工業高校GT「 」列伝04~電気の花道 第2章~】
工業教育・de・ダダダ
2026.10.28
Episode 04「山田智士×愛知県立豊橋工科高等学校」
時は高度経済成長期。綿々と続く好景気により「工業」は活性化し、それを支えるであろう未来の技術者たちは、専門的なスキルの習得を求めて工業高校の門を叩いた。しかし……。
時は令和。いま、工業高校があぶない。1960年代中盤をピークに、生徒数は右肩下がりを続けている。そして、電気分野があぶない。科として独立できないほど募集定員に満たない状態が頻出している。
危険水域に入っているといっても過言ではないが、この状況に傍観しないで、工業復権のために率先して全力投球、瞳に炎を宿している熱き求道者も存在している。
この連載は、長年にわたって名古屋工学院専門学校で教鞭を執ってきた筆者のライフワーク「キャリア教育支援」で邂逅した、さまざまな手段で工業教育を先導するキーマンに宛てたチャントである。
電気の花道 第2章、今回は愛知県立豊橋工科高等学校のGT「Y」、グレート・ティーチャー・ヤマダこと、山田智士先生の列伝を取り上げる。早速、物語のページを開いてみようか……。
「資格」こそ、山田を走らせる原動力
前の職場である豊川工科高校の電気科に所属していたときに電験三種に合格し、補習というカタチで本腰を入れて資格指導を始めましたが、それまでを振り返ると「電気の本流」から離れた道を歩んできました。
地元が東三河エリアで、出身は現在の職場である豊橋工科高校(当時は豊橋工業高校)。しかし、いまは募集停止になった繊維工学科で学びました。当然、電気はオームの法則くらいで本格的な内容まで取り組んでいません。それでも、大学は推薦で電気科へ入学。ここで初めて本格的に電気を学習することになりました。
まったく電気の知識がなかったボクが、大学に、それも電気科に入学できた背景には、高校在学中に取得した「資格」の存在があったからです。
第二種情報処理技術者試験(現在の基本情報技術者試験)に合格していて、その合格者を対象にした推薦枠があったことで進学することができました。
ボク自身、資格を取得することで自信をつけていくタイプで、初めての「電気」でも特に準備もなく、何とかなるだろうと軽い気持ちで入学していくわけですが、まったく通用しない世界だと痛感します。
講義の内容が、まったくわからない。
だから、ひたすらノートをとって、自宅で理解することに努めました。それでも理解できないところは母校の先生に頼み込んで、講義ノートを持っていって教えていただく。そんな日々が1年くらい続きました。
この特別授業は電気のことをイメージできるレベルまで達して卒業を迎えるわけですが、このとき、高校時代に学校の先生になりたいと思っていた記憶がよみがえり、教員を目指すことになります。学校生活が本当に楽しく、それを伝えたいと思ったことがキッカケです。当時は就職氷河期で、一般企業の就職が極めて困難なときだったことも教員を選択した理由でもあります。
しかし、そう簡単にはいきません。一般企業から内定はなく、教員採用も失敗。そこで、1年間の期限で常勤講師として工業高校に勤務する道を選びました。これが「先生」という職業の第一歩です。
その後、教員採用試験を受けながら実習助手としての道を歩み、初赴任校となる豊川工科高校で初めて電気科に配属されました。電気工事士試験があるので、強電を担当することになるのですが、常勤講師時代は電子機械科にいたので強電の担当は初めて。また「0」からのスタートです。
その反面、ここで電気のおもしろさを学びました。実習助手で電気に携わり、苦しいなりに取り組んで理解できるようになる。ここに5年間在籍し、このときに第二種電気工事士試験にも合格して自信がつきました。大きな5年間でした。
また、このときに教員採用試験にも合格。通算7回のチャレンジで手にした高校時代からの夢です。
教諭になって初赴任となった学校(所属は電子機械科)を4年で異動し、2校目は電気科に配属。ここで初めて電験三種の指導をサポートの立場で入ります。
電験三種は大学時代に2回チャレンジして、そのあとは休止状態。ここで電験三種の「電力」を座学で指導することになり、自分がイメージできない内容も多かったことから工場や発電所を見学して、実機を見ることの大切さを学びます。
しかし、この学校にいたのは3年間で、この期間では指導も確立できず、電験三種の実績を残すことはできませんでした。
この学校を経て、冒頭の豊川工科高校の時代を迎えます。
電気科で、ちょうど電験三種の指導も要領がわかってきた時期。これまでボクが学んだことを生徒たちに還元しつつ、自分も本格的にチャレンジしようと思って、ようやく電験三種の合格を勝ち取ります。
さあ、次は生徒たちの番。補習に取り組んで、自学自習の大切さも説いて、じっくり向き合いました。最初こそ科目合格までしか届かなかったけど、年を重ねるうちに、毎年、コンスタントに合格者を輩出できるようになりました。これはシンプルに嬉しかったです。
この資格の取り組みを、当時、豊橋工科高校にいた今泉(秀二)先生がみていてくれました。今年(2026年)の4月からは豊橋工科高校に異動し、配属がロボット工学科となり、電気科から外れましたが、また今泉先生と同じ学校で働くことができて嬉しく思っています。
ボク自身、資格を取得することで人生が変わった人間です。大学の推薦が取れて、電気を学ぶことができました。すぐに役立つかわからないけど、資格を持っていることで、どこかで役立つかもしれない。だから、取得することが大切だと思っています。自信にもなるし、必ず自分を変えることができます。
電験三種は高校生で取得できる最高峰の資格なので、積極的にチャレンジしてほしいです。


「つながり」が導いたGT「Y」との縁
今回の「キャリア教育支援」は愛知県立豊橋工科高等学校です。
この連載でも触れましたが、私が最もプレッシャーを感じる学校が豊橋工科高校になります。50分×3コマ。これを1人で担当するからです。
「生徒が飽きてしまうんじゃ……」
このようなプレッシャーと闘いながら当日を迎えます。
ただ、実際に始まってしまえば、生徒たちとコミュニケーションを取りながら、自分のペースで展開できるので、結果としては最も達成感のある講演になっています。
豊橋工科高校で、1つ、驚くことがありました。なんと、来年度に電気科から本校の電気工学科に5名の生徒が入学するんです! 40名のクラスから5名ですよ。ビックリしました! 全員が「電験を取りたい!」とのことです。
技術者のタマゴを預かり、もう一段、私たちが磨き上げて社会に送り出す。このような仕組みを工業高校とつくっていきたいものです。
豊橋工科高校とのつながりは、学科主任の今泉先生との出会いになります。おつき合いも長くなりました。残念ながら、今年度で退職されるそうです。おつき合いがある先生が、また1人、教育業界から去っていきます。この数年、すごく多いんですよ……。
でも、新しく入ってくる先生もいます。実は、今回の講演でやらかしてしまいました。
始める前にクラスに1人だけ立っている生徒がいたので、「キミ、席はないの?」と聞いたところ、なぜか、クラスで大爆笑が巻き起こりました。
当然、なにがなんだかワケがわかりません。ポカンとしている私に、ほかの生徒が小さな声で教えてくれました。
『生徒じゃなくて、担任の先生です』
大変申し訳ありません! ただただ平謝りです。
電気科2年の担任を務める阿部先生は大学を卒業して教職に就いたばかり。自分自身の経験を振り返ってみても、技術的には未熟な部分はあったものの、最も情熱を持って生徒たちに接して、最も距離が近かった年代です。
阿部先生、がんばってください! それから、ごめんなさい!!
そして、新しい出会いが、もう1つ。豊川工科高校で電気科科長を務めていた山田先生がロボット分野の主任として豊橋工科高校に加わっていました。豊川工科高校で熱意を持って生徒たちと向き合っていた先生です。今泉先生とのつながりから生まれた山田先生との縁。こういった「つながり」は大切に育てていきたいと思います。

プロフィール
石原 昭(いしはら・あきら)
1965年生まれ。1990年4月から名古屋工学院専門学校に勤務。夜間部電気工学科のクラス担任を経て、1993年4月から昼間部電気工学科のクラス担任を務める。管理職となる2015年まで22年、ひたすら電験三種の指導を行い、クラス担任として預かった約300名の学生を電験三種に合格させる。現在はテクノロジー学部の運営とともに工業高校生に対して「キャリア教育支援」を展開している。「電験合格請負人」「電験教育の伝道師」の異名で東海地区の電気業界で活躍中。
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