Column
第6言「三千六百五十歩のマーチ」【電気教育、言いたい放題】
電気科教員の「はてしないグチ」
2024.03.18
第6言「三千六百五十歩のマーチ」
筆者が長年勤務した高校は伝統校で、かつては電験三種の現役合格を毎年のように輩出していたようだ。年配の先生の言葉をまとめると「勉強やクラブは自分でするもの」というようで、当時の生徒は実践していたようである。
しかし、だ。この言葉をじっくり咀嚼し、推察(邪推?)してみる。先生側は電験三種の指導方法を持っていなかったのでは、と……。赴任してから指導をしている場面をみたことはなかったからだ。
実際に取り組んでみたのだが、カリキュラムの構成上、2年生で電験三種の学習を始め、3年生で受験するという流れであった。2年生の2学期には「電験三種を受けてみないか?」と授業中に声をかけてみるが、反応はイマイチ。そこで、粘り強く取り組みそうな生徒に個人交渉をした結果、ようやく補習が成立する人数が集まった。
早朝の勉強会は計算問題に絞り、じっくり2問を取り組むというスタイルだ。そのために前日から解答へのプロセス、専門用語の意味、複雑な回路図を解きほぐしてシンプルに書き換えるなどの準備を行い、ベクトル図の解説から計算方法まで、どんな質問がきてもいいように万全の態勢を整えた。1問あたり約90分を費やしたため、普段の授業以上にハードな準備となった。
開始して2週間がすぎたころ、電験三種の勉強会を行っていることが校内で広まった。
「どうせムリやぞ」「そんなにムリしなくても……」「生徒が自分で勉強しないといけない」などなど、ほかの先生から雑音や嘲笑の声を何度か浴びた。出勤のときには気持ちが押しつぶされそうになったが、「そんな声に負けてたまるか!」と自ら鼓舞して自転車のペダルをこぎ続ける。アタマのなかでは『情熱大陸』や『プロジェクトX』、なぜだか『大改造!! 劇的ビフォーアフター』のオープニングテーマが流れている。もし、生徒に熱血指導をしている自分がテレビで放送されたら、あんなテイストになっているんだろうなと、とりとめもない妄想をしながら……。だとしたら、カッコ悪いことはできないよなぁ~って、勝手に自分を戒めたりしたものだ。
この自転車通勤は妄想ばかりしていた。映画『ロッキー』のテーマ、長州力の入場曲『パワーホール』、アントニオ猪木の『炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~』で気持ちを高め、たまには黄色い声援がほしいと思ったときはZARD『負けないで』を口ずさんだ。仕事がうまくいった日の帰りは映画『レイダース/失われたアーク』のテーマで軽快にペダルをこぎまくった。
管理職の先生から「電験三種の指導はどうですか?」と尋ねられたときは、現状を答えて否定的な返事がくるのも面倒なので、第一種と第二種電気工事士、電験三種の学習到達度をなぞらえて「桃栗(第一種&第二種の電気工事士)三年、柿(電験三種)八年」とはぐらかしたものだ。
2科目合格者、3科目合格者は達成できても、現役で4科目の一発合格は難しい。ある生徒は4科目とも「あと1問」といった状態で涙をのんだこともあった。なかなか合格者が出ない状況に、思わず「オレは逆風に立ち向かうドン・キホーテか……」と考えてしまった。
そこで心が折れたら、努力してきた生徒に申し訳ない。チータが歌っていた「あなたのつけた足あとにゃ、きれいな花が咲くでしょう」を心の支えにして、すぐに成果が出なくても、後輩の先生が引き継いで結果が出れば、それでよしとしよう。卒業後の1~2年で何名もの生徒から合格の報告を受けたのが何よりの救いだった。
そして、勉強会のスタートから10年、ようやく現役合格者を輩出できた。
早朝、その生徒が喜んで「先生、合格しました!」と報告にきてくれた。筆者も「よかった、これは努力したキミ自身の成果だ!」と言って固い握手を交わした。
校舎の陰に隠れて、思わず男泣きをしてしまった。その日の1限目に授業がなかったことを、このときほどラッキーだと思ったことはない。あのとき筆者は若かった……。
プロフィール
今出川 裕樹(いまでがわ・ひろき)
1960年生まれ。大学卒業後、電気科の教員として工業高校に勤務。時事問題をぶっこみながらポイントを説明するユニークな授業を展開。その軽妙なトークは、爆笑のうずを巻き起こしつつ、内容を理解できるということで生徒に絶大な支持を得ている。50歳を前に電験三種に合格し、現在、二種に向けて鋭意勉強中。